江戸時代は「人々が土地に縛りつけられ、自由に旅行できなかった時代」と説明されることがある。たしかに現代のように、思い立った日に身分証も届け出もなく遠方へ出かけることはできなかった。しかし一方で、街道には宿場が並び、寺社参詣や湯治、商用、奉公、巡礼などを理由に多くの人が移動していた。
江戸の旅を理解するうえで重要なのは、「移動が禁止されていたか、自由だったか」という二択ではない。幕府や藩、村が人の移動を管理する制度を持ちながら、その制度の内側で巨大な旅行文化が成立していたのである。
旅に出るには理由と手続きが必要だった
江戸時代の庶民にとって、長距離旅行は完全な私事ではなかった。農民であれば村、町人であれば町という共同体に属し、年貢や仕事、家族関係などから切り離されて暮らしていたわけではないからである。
遠方へ出る際には、一般に往来手形などと呼ばれる通行のための文書を携帯することがあった。ただし、全国どこでも同じ形式の「江戸時代版パスポート」が使われていたと考えるのは正確ではない。発給者や記載内容、必要となる場面は地域、時期、身分、旅の目的によって異なった。
寺院が檀家であることを証明した文書や、村役人などが身元を保証した文書が用いられる場合もあった。旅先で病死した場合の取り扱いなどまで記した例も知られている。
こうした仕組みには、単に人を監視するだけでなく、「この人物がどこの誰なのか」を社会的に保証する意味があった。戸籍も写真付き身分証もない時代、旅人は所属する共同体の信用を持って旅をしたのである。
寺社参詣は旅を可能にする大きな理由だった
庶民の長距離旅行を考えるとき、寺社参詣は欠かせない。
伊勢神宮への参宮をはじめ、善光寺、金毘羅、熊野、西国・坂東などの巡礼地へ向かう旅が行われた。もちろん、すべての人が気軽に全国を歩き回れたわけではない。しかし信仰を目的とする旅は、遠方へ出る社会的に理解されやすい理由の一つだった。
ここには現代の「観光旅行」とは少し違う感覚がある。
参詣は信仰行為であると同時に、旅先の名所を見物し、土地の名物を食べ、人と交流する機会でもあった。宗教と観光を現代のようにはっきり分けることは難しい。
また、伊勢参宮などでは「講」と呼ばれる集団が旅費を積み立て、代表者を送り出す仕組みも利用された。毎年全員が遠方へ旅するのは難しくても、共同で資金を用意すれば参詣の機会を作ることができたのである。
旅は個人の趣味だけで成立するものではなく、村や町の人間関係、信仰組織、共同資金によって支えられる場合があった。
街道は旅人のためだけの道路ではなかった
江戸を中心として東海道、中山道、甲州道中、日光道中、奥州道中などの主要街道が整備された。
ただし、これらは観光客の便利のために造られた道路ではない。幕府の政治や軍事、情報伝達、大名の移動、物資輸送などを支える交通網だった。
街道には宿場が設けられ、人馬を次の宿場へ継ぎ送る仕組みが置かれた。宿場側には一定の人足や馬を用意する負担があり、公用交通を支えることが求められた。
つまり旅人が歩いた便利な街道の裏側には、沿道住民の労働が存在していた。
大名行列が通過するときには大量の人馬や宿泊施設が必要になる。交通量が集中すれば宿場の負担も大きくなった。江戸時代の交通網は、利用者にとっての便利さと、維持する側の負担が組み合わさった制度だったのである。
街道沿いには一里塚など距離を知る目印も設けられた。現代の道路標識ほど精密な案内設備ではないが、歩行を基本とする旅人にとって、距離を把握する手掛かりになった。
一日にどこまで歩けたのか
庶民の旅では徒歩が基本だった。
もちろん馬や駕籠を利用することもできたが、長距離をすべて乗り物で移動できる人は限られる。多くの旅人にとって、自分の足こそ主要な交通手段だった。
一日に進める距離は、道路の状態、山道の有無、天候、荷物、年齢などによって大きく異なる。江戸時代の旅行記にはかなり長距離を歩いた記録もあるが、それをすべての旅人の標準とみなすことはできない。
雨が降れば道はぬかるむ。山道では坂を登らなければならない。夏は暑さ、冬は寒さや雪が移動を妨げる。
さらに現代の旅行者との大きな違いは、橋が必ずあるとは限らなかったことである。
川は街道上の巨大な障害だった
江戸時代の旅では、川を渡ることが重要な問題だった。
地域によって橋、渡し船、徒歩による渡河など方法は異なった。東海道の大井川のように、原則として橋や渡船によらず、人足による川越しが行われたことで知られる場所もある。
水量が増えれば川止めとなり、旅人は渡ることができない。
予定通りに進める鉄道旅行とは違い、自然条件によって旅程そのものが止まる可能性があったのである。川止めが長引けば、その周辺の宿場に滞在しなければならず、宿泊費や食費も増える。
旅の日数は単に目的地までの距離から計算できるものではなかった。
山、川、天候、季節という自然条件が、人間の作った交通制度と同じほど大きな意味を持っていた。
旅人を支えた宿場と宿
夕方になると旅人は宿を探した。
宿場には、参勤交代などで大名や幕府役人が利用する本陣・脇本陣が置かれる場合があり、一般の旅人が利用する旅籠も営業していた。
旅籠では宿泊に加えて食事が提供されるのが一般的だった。一方、木賃宿と呼ばれる、より簡素な宿泊形態もあった。「木賃」の具体的な営業形態には時代や地域による違いがあるが、旅籠より安価な宿として利用されることが多かった。
宿では旅人同士が同室になることも珍しくなかった。現代のホテルのように、個室と私生活が当然に保証される宿泊環境を想像すると実態から離れてしまう。
旅先では、知らない者同士が同じ空間で食事をし、情報を交換する。
どの道が通れるか、どこの川が増水しているか、次の宿場までどれほどあるか。旅人の口コミそのものが重要な情報源だった。
食事も「その土地を通る」経験だった
徒歩旅行では食事が重要である。
街道沿いには茶屋や食事を提供する店があり、宿でも食事を取ることができた。握り飯や餅、そばなど、比較的簡単に食べられるものも旅と相性がよかった。
さらに街道文化が発達すると、地域の食べ物が名物として知られるようになる。
ただし「江戸時代には全国の旅人が名物グルメを楽しんでいた」と単純化するのは避けるべきだろう。旅の予算には大きな差があり、できるだけ安く移動しなければならない人もいた。
裕福な商人の旅と、限られた費用で巡礼する人の旅とでは、食事も宿泊も同じではない。
それでも人が移動することで、食文化の評判も移動した。名所、寺社、宿場、名物は結びつき、街道沿いに地域ごとの旅行文化が形成されていった。
関所は何を取り締まっていたのか
江戸時代の旅を象徴する施設として関所がある。
関所では人や物の通行が確認され、とくに江戸防衛や幕藩体制の維持と関係する重要地点では厳しい検査が行われた。
よく知られる表現が「入り鉄砲に出女」である。江戸へ持ち込まれる武器と、江戸から出ていく女性が警戒されたことを示す言葉として説明される。
背景には、大名統制との関係があったとされる。ただし、江戸時代を通じて全国すべての関所が同一基準で同じ検査をしていたわけではない。取り締まりの実態には時期や場所による差がある。
女性の場合、関所を通過するための手形が重要になる場合があり、男性より移動上の制約を受ける場面もあった。
この点からも、「江戸時代の庶民は自由に旅行できた」という説明だけでは不十分である。旅の自由度は性別、身分、地域、目的によって異なっていた。
旅の安全は誰が保証したのか
現代であれば、交通事故や盗難などが起きれば警察や救急など公的な制度を頼ることができる。
江戸時代にも宿場や村、役人による秩序維持の仕組みは存在したが、旅人が受けられる保護は現代とは異なる。
病気になる危険も大きかった。
徒歩で長距離を移動し、衛生環境も医療環境も現在とは違う。旅の途中で重病になったり、死亡したりすることも想定されていた。そのため、往来手形などに病気や死亡時の扱いについて記される例がある。
旅とは娯楽である以前に、一定の危険を引き受ける行為だった。
だからこそ、旅人個人だけでなく、寺院、村、宿場、講など複数の共同体が移動を支える意味があった。
旅は江戸社会の外へ出る行為ではなかった
江戸の旅を見ていると、一見すると矛盾した社会像が浮かんでくる。
幕府は関所を置き、村や藩は人の移動を把握しようとした。その一方で街道には大量の旅人が行き交い、宿屋、茶屋、土産物、寺社参詣などの旅行文化が発達した。
しかし、この二つは必ずしも矛盾していない。
江戸時代の旅は、制度から解放されて自由になることではなく、制度の中を移動することだったからである。
旅人は手形を持ち、宿場を利用し、関所を通り、村や寺の信用を背負って歩いた。幕府の街道制度、宿場の労働、寺社の信仰ネットワーク、商人の流通、地域住民の営業が組み合わさることで、遠方への旅が可能になった。
同時に、その利用条件は誰にとっても同じではなかった。男性と女性、農民と商人、裕福な者と貧しい者、平地の住民と積雪地の住民では、旅に伴う負担も制約も異なる。
江戸の旅から見えてくるのは、閉鎖された社会でも、現代と同じ自由社会でもない。
人々を共同体に所属させながら、その共同体の証明と街道網を利用して遠くまで移動させる社会である。
徒歩で何日も街道を進み、宿場で知らない旅人と眠り、川が増水すれば足止めされ、関所では身元を確認される。それでも目的地へ向かう人々がいた。
江戸時代に旅文化が発達したという事実は、人々が制度を離れて暮らしていたことを意味しない。むしろ、移動という日常的な営みさえ、幕府、藩、村、寺社、宿場、商業という社会の仕組みの上に成り立っていたことを示している。