「歴史は勝者によって書かれる」という言葉は、歴史を考える際によく使われる。しかし、この表現をそのまま受け取ると、「現在知られている歴史はすべて勝った側の宣伝であり、本当のことは分からない」という極端な歴史観にもつながりかねない。
実際には、勝者が歴史の記録や評価に大きな影響を与えることはある一方、勝者だけが歴史を書けるわけではない。敗者の記録が残る場合もあれば、後世になって勝者側の説明が覆される場合もある。
では、「勝者が歴史を書く」とは具体的に何を意味するのだろうか。重要なのは、誰が文章を書くかだけでなく、**誰が記録を残し、分類し、保存し、教育し、社会に広める権力を持つのか**という問題として考えることである。
「勝者」とは戦争に勝った人だけではない
まず、「勝者」という言葉の意味を広げて考える必要がある。
戦争なら勝った国家や勢力が分かりやすい。しかし政治史では、政権を獲得した勢力、王朝を成立させた一族、革命後に新政府をつくった集団なども「勝者」になりうる。
たとえば中国では、新しい王朝が成立すると、前王朝の歴史を後の王朝が編纂することが繰り返された。『史記』のように単純な「勝者の公式記録」とは言えない史書も存在するが、後世の王朝が過去を整理し、正統性を説明するという構図そのものは中国史で重要だった。
日本でも、明治維新後に成立した新政府は、自らを新しい国家秩序の中心として歴史を整理していった。戊辰戦争では新政府側と旧幕府側が戦ったが、政府の公式な立場から見れば、新政府に抵抗した勢力は「朝敵」や「賊軍」と位置づけられることがあった。
ここで重要なのは、新政府が事実そのものを自由に作り出せたという意味ではない。むしろ、**何を正統と呼び、何を反逆と呼ぶかという歴史の枠組みを設定する力を持っていた**ことが重要なのである。
勝者が持つ最大の力は「記録を残す制度」である
歴史は、過去の出来事そのものではない。
現在の私たちが知ることのできる歴史は、文書、日記、新聞、行政記録、遺跡、物品、写真、映像など、残された証拠から再構成されたものである。
そのため、どの記録が残ったかによって、後世から見える過去は大きく変わる。
国家や政権を握った側は、役所を運営し、法律を制定し、裁判記録を作り、公文書を保存できる。また学校教育や記念事業を通じて、自分たちの理解する歴史を社会に広めることもできる。
これは敗者に比べて非常に大きな優位である。
たとえば反乱や内戦について考えてみよう。政府側には命令書、軍事記録、裁判記録、行政文書などが体系的に残りやすい。一方、反乱側の参加者が農民や下級兵士であれば、自分たちの考えを大量の文書として残しているとは限らない。
その結果、研究者が後世から事件を見るとき、どうしても政府側の史料が多くなる場合がある。
つまり、「勝者が歴史を書く」という現象の一部は、勝者が意図的に嘘を書くことよりも、**勝者側の記録だけが大量に残りやすいという史料の偏り**によって生じる。
名前を付けることも歴史を支配する力になる
歴史上の事件につけられた名前にも注意が必要である。
「反乱」「革命」「解放」「侵略」「征服」「統一」などの言葉には、それぞれ評価が含まれている。
政権を倒そうとして失敗した運動は「反乱」と呼ばれ、新しい政権を成立させた運動は「革命」と呼ばれることがある。しかし参加者の行動だけを見れば、その境界が最初から明確だったとは限らない。
成功したから革命と呼ばれ、失敗したから反乱と呼ばれるという側面もありうる。
明治維新についても、「維新」という言葉自体が、新しい政治秩序を肯定的に表現する性格を持つ。一方、旧幕府側から見れば、政治秩序が崩壊し、領地や身分、生活基盤を失う過程でもあった。
もちろん、だから「明治維新」という名称が誤りだというわけではない。
重要なのは、歴史用語には出来事を説明する機能だけでなく、**その出来事をどの視点から見るかという枠組みを与える機能もある**と理解することである。
敗者の声が消されることもある
勝者による歴史形成がさらに強く現れるのが、敗者の記録そのものが失われる場合である。
古代社会では、政治的に失脚した人物の名前や像が削除されることがあった。ローマ帝国では、後世に「記憶の抹消」と説明されるような措置がとられた例が知られている。ただし、その運用は一様ではなく、現代的な意味で完全に人物の存在を消去できたわけでもない。
文書の破棄や碑文の削除が行われれば、後世の研究者が利用できる情報そのものが減る。
さらに厄介なのは、文字を残す能力に社会的な格差があることである。
古代や中世の社会では、王、貴族、官僚、宗教者などの記録が比較的多く残る一方、農民、労働者、女性、奴隷、少数集団などの日常的な声は残りにくい場合がある。
この問題は、単純な「勝者対敗者」という構図より広い。
歴史にはしばしば、**記録できた人と記録できなかった人の格差**が存在するのである。
しかし敗者も歴史を書く
一方で、「勝者が歴史を書く」という言葉には明確な反例もある。
もっとも分かりやすいのが、敗者側の歴史観が社会で強い影響力を持つ場合である。
アメリカ南北戦争では南部連合が軍事的には敗北した。しかし戦後、南部社会では南部の大義を美化し、奴隷制の重要性を小さく扱う「Lost Cause(失われた大義)」と呼ばれる歴史観が広く形成された。
つまり、戦争では敗者でも、地域社会、教育、記念碑、出版などを通じて、自分たちの歴史像を後世に残すことはできる。
第二次世界大戦後のヨーロッパでも、敗戦したドイツ側の軍人による回想録などが戦争理解に影響を与えた。その過程では、ドイツ国防軍をナチ体制の犯罪から切り離して理解する「清廉な国防軍」というイメージが広がった時期がある。しかしその後の研究によって、国防軍と占領政策や犯罪との関係について検証が進められてきた。
これらの例から分かるのは、軍事的な勝敗と、歴史解釈をめぐる勝敗は同じではないということである。
**戦争に負けても、物語をめぐる争いでは大きな影響力を持つことがある。**
勝者の歴史も永遠には続かない
さらに重要なのは、歴史解釈が固定されているわけではないことである。
政権が変われば、それまで公開されていなかった文書が利用可能になることがある。考古学調査によって文字史料には存在しなかった証拠が発見されることもある。個人の日記や地方文書などから、国家の公式記録とは異なる経験が明らかになる場合もある。
そのため歴史研究では、一つの公式記録だけを信用するのではなく、異なる種類の史料を比較する。
政府文書と私人の日記、新聞と外交文書、裁判記録と当事者の証言などを照合し、「誰が、いつ、何の目的でこの記録を作ったのか」を検討する。
ここで重要なのは、「史料には偏りがある」ことと、「何も分からない」ことは別だという点である。
偏った史料でも、その偏り方そのものを分析することができる。
たとえば政府がある集団を繰り返し「賊」と表現していれば、その人物たちが本当に単純な犯罪者だったと結論するのではなく、なぜ政府がそのように分類する必要があったのかを考えることができる。
史料批判とは、記録を信用するか捨てるかを選ぶ作業ではなく、**記録が作られた条件まで含めて読む方法**なのである。
「勝者が歴史を書く」は半分正しく、半分危険である
以上を考えると、「勝者が歴史を書く」という言葉には確かな意味がある。
政治的勝者は、公文書、教育、記念碑、事件の名称、正統性の説明などを通じて、後世の歴史認識に大きな影響を与えることができる。また敗者や社会的弱者の記録が残りにくいという問題も現実に存在する。
しかし、「だから歴史書はすべて勝者の嘘である」と考えるのは適切ではない。
敗者も回想録や地域社会の記憶を通じて歴史像を形成する。勝者同士の内部にも意見の違いがある。後世の研究によって公式な説明が修正されることもある。
そして何より、歴史研究そのものが、複数の史料を比較してそうした偏りを検証する営みである。
したがって、「勝者が歴史を書く」という表現をより正確に言い換えるなら、
**勝者は、歴史について最初に強い発言権を持ちやすい**
という程度が適切だろう。
歴史を決めるのは戦場の勝者だけではない。記録を残した人、保存した人、研究した人、教育した人、そして後世にその説明を受け入れたり批判したりした人々もまた、歴史像の形成に参加している。
だから歴史を読むときに問うべきなのは、「これは勝者の歴史だから本当か嘘か」ではない。
**誰がこの記録を作ったのか。誰の記録が残っていないのか。そして、なぜこの説明が後世まで残ったのか。**
その三つを問い続けることこそ、「勝者が歴史を書く」という言葉を単なる格言ではなく、歴史を見るための有効な視点に変える方法なのである。