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近代日本の鉄道と仕事

鉄道は「移動手段」以上のものだった

近代日本の鉄道というと、蒸気機関車や駅舎、都市を結ぶ幹線の開通が思い浮かびやすい。しかし、人びとの暮らしという視点から見ると、鉄道の重要性は単に遠くへ速く移動できるようになったことだけではない。

鉄道は、大勢の人間を決められた時刻に動かし、貨物を継続的に運び、多数の駅や線路、車両を維持する巨大な仕組みだった。そのため、機関士や駅員だけでなく、保線、信号、通信、車両整備、荷役、事務など多くの仕事を必要とした。

同時に鉄道は、働く側にも新しい規律を求めた。列車は個人の都合では動かせない。時刻表、勤務交代、安全確認、運転規則といった制度が、日々の仕事を細かく区切っていったのである。

近代日本の鉄道を考えることは、機械の歴史を見るだけではない。時間の使い方、仕事の組織化、都市と農村の関係がどのように変化したのかを見ることでもある。

鉄道開業とともに生まれた新しい職場

日本で最初の鉄道が新橋―横浜間に開業したのは1872年である。その後、路線は東京や大阪などの都市周辺から各地へ広がった。

鉄道には、それまでの街道交通とは異なる専門的な仕事が必要だった。

代表的なのが機関車を扱う機関士や機関助士である。蒸気機関車では石炭を燃やして蒸気をつくり、圧力や水量を確認しながら運転しなければならなかった。単に機械を動かせばよいのではなく、速度、勾配、停車位置などを判断する技術が必要だった。

駅では乗車券を扱う職員、列車の発着を管理する職員、荷物や貨物を扱う人びとが働いた。駅長のように駅全体を管理する役職も置かれた。

さらに線路そのものを維持する保線の仕事があった。鉄道は線路がわずかに変形しただけでも安全に影響する。レール、枕木、道床、橋梁などを点検し、必要に応じて修繕する作業が欠かせなかった。

鉄道の仕事は、旅客から見える駅員や乗務員だけで成立していたわけではない。列車が走っていない時間帯も含め、線路や車両を支える仕事が存在したのである。

「時計に合わせて働く」職場

鉄道が従来の仕事と大きく異なった点の一つが、時間の厳密さだった。

農作業であれば、日の出や天候、季節によって仕事の開始や終了が変化することがある。商家や職人の仕事にもそれぞれの時間感覚があった。

しかし鉄道では、列車が午前何時何分に出発するという予定があれば、それに合わせて多くの職員が動かなければならない。

機関車の準備が遅れれば列車は出発できず、信号やポイントの扱いを誤れば事故につながる。途中の駅でも列車の到着を前提として乗客や貨物の扱いを準備する必要があった。

こうした交通網を運営するには、各地で時計を共有することが重要になる。

日本では1888年から東経135度を基準とする標準時が用いられた。標準時の導入には通信や行政など複数の背景があるため、鉄道だけが理由だったと考えるのは適切ではない。しかし、全国規模で列車を一定の時刻によって運行する鉄道は、統一された時間を実生活の中で意識させる代表的な仕組みの一つとなった。

駅に掲げられた時計や時刻表は、「何となく朝に出る」のではなく、「何時何分に出る」という生活を広げていった。

鉄道員の仕事は安全を守る仕事でもあった

鉄道には便利さと同時に危険が存在した。

重い車両が高速で走る以上、運転の失敗や設備の故障は重大な事故につながりうる。そのため鉄道では、個人の経験だけではなく、規則と確認手順によって安全を確保する考え方が発達した。

信号の確認、列車同士の間隔、駅での発車手続きなどには一定のルールが必要になる。鉄道網が広がり列車本数が増えるほど、一人の判断だけで運行を管理することは難しくなった。

この点で鉄道は、近代的な組織労働の特徴をよく示している。

そこでは「腕のよい職人」が一人いれば仕事が成立するわけではない。駅、機関区、車両工場、保線区など異なる部門が、共通の規則と情報によって連携しなければならなかった。

一方で、安全制度や労働環境は時期によって変化している。明治初期から昭和期までを一つの勤務制度で説明することはできない。夜間勤務や長時間労働など、働く側に大きな負担を伴う仕事も存在した。

鉄道を支えた修理と保守の仕事

蒸気機関車や客車、貨車は、使用すれば摩耗する。そのため鉄道会社や官営鉄道には、車両を整備する工場や機関区が必要だった。

蒸気機関車では、ボイラー、車輪、軸受け、制動装置など多くの部分を点検しなければならない。機械加工、鍛冶、組立などの技術を持つ職工も鉄道を支えた。

こうした仕事は、近代的な機械工業の発展とも関係していた。

鉄道が機械部品を大量に必要とすれば、それを修理・製造する技術者や職人が育つ。初期には外国から導入された機関車や設備に頼る部分が大きかったが、次第に国内でも車両や部品を製造する能力が高まっていった。

線路の維持も同様だった。

雨、大雪、洪水、地震など日本の自然条件は鉄道設備に影響する。山間部では落石や斜面崩壊への警戒も必要だった。積雪地域では除雪も列車運行を左右する重要な仕事になる。

したがって、同じ鉄道員でも仕事の内容は地域や季節によってかなり違っていた。

駅ができると町の仕事も変わった

鉄道によって変化したのは鉄道会社の内部だけではない。

駅には人と物が集まる。その周辺には旅館、飲食店、商店、運送業などが成立しやすくなった。

それまで街道沿いの宿場が交通の中心だった地域でも、鉄道駅の位置によって人の流れが変化することがある。反対に、鉄道路線から外れた町では従来の交通上の優位を失う場合もあった。

貨物輸送の影響も大きい。

米、石炭、木材、魚介類、工業製品などを大量に運ぶことができれば、産地と都市市場との関係も変わる。ただし、すべての貨物がただちに鉄道へ移ったわけではない。河川輸送、海運、荷車などは鉄道開通後も使われ、距離や品目によって使い分けられた。

駅から最終目的地まで鉄道車両が走るわけではないため、駅と町や村を結ぶ運送も必要だった。

つまり鉄道は既存の運送業を単純に消滅させたのではなく、新しい物流の結節点をつくり、その周囲に別の仕事を生み出したのである。

鉄道によって「通勤」が広がった

鉄道の発達は、住む場所と働く場所の関係も変化させた。

徒歩を中心とする社会では、毎日長距離を往復して働くことには限界がある。しかし鉄道や後の都市電車が発達すると、職場からある程度離れた場所に住むことが可能になる。

特に都市の拡大が進むと、郊外から市街地へ鉄道で通う生活が徐々に広がった。

もちろん、明治期の日本人が一斉に現代的な通勤生活を始めたわけではない。農村人口は依然として多く、職住が近接した仕事も多数存在した。鉄道利用の頻度も所得や地域によって異なる。

それでも鉄道沿線に住宅地が形成され、都市圏が広がっていく過程で、鉄道は「毎日の仕事へ向かう交通機関」という役割を強めていった。

今日では当たり前に見える朝夕の通勤列車も、近代化の中で形成された生活様式なのである。

女性と鉄道の仕事

近代の鉄道職場は、長く男性中心の部分が大きかった。

機関士、保線作業員など体力を必要とすると考えられた職種だけでなく、当時の社会的な性別役割も職種構成に影響していた。

しかし、鉄道に関わる女性労働が存在しなかったわけではない。時代が下るにつれて、駅業務や事務などで女性が働く例も見られるようになる。

特に戦時期には男性労働力が軍へ動員され、それまで男性が担っていた職域へ女性が入る場合も増えた。

ただし、女性の採用職種や待遇は会社、地域、時期によって異なる。近代日本全体について「女性駅員はいつから一般化した」と一つの年代で区切ることは難しい。

鉄道職場を見る際にも、誰がどの仕事に就くことを社会から期待されていたのかという問題を無視することはできない。

国有化によって巨大組織になった鉄道

明治期の鉄道には官営路線と民営会社が並存していた。

その後、1906年に鉄道国有法が公布され、主要な私鉄の国有化が進められた。これによって国が運営する鉄道網は大きく拡大した。

全国規模の鉄道組織には、多数の職員が必要になる。

列車の運転だけでなく、人事、会計、資材調達、運輸計画などの事務仕事も増える。大量の職員を一定の規則によって配置し、昇進させ、勤務させる官僚的な組織が形成された。

鉄道員にとって、鉄道は単なる一時的な仕事場ではなく、職歴を積み上げていく巨大な組織にもなっていった。

同時に、労働条件や待遇をめぐる問題も生じる。大規模組織で働く人が増えれば、給与、勤務時間、身分、昇進などをめぐる利害も複雑になる。

鉄道の発達は、近代日本における「組織に雇用されて働く」という経験の広がりとも重なっていた。

鉄道が変えたのは距離だけではなかった

鉄道によって東京から大阪までの所要時間が短縮された、といった説明だけでは、近代日本における鉄道の意味を十分には捉えられない。

鉄道がもたらした大きな変化の一つは、多数の人びとの行動を制度によって同期させたことにあった。

列車は時刻表に従って走り、駅員や機関士は勤務時間に従い、工場では車両が定期的に整備される。貨物は駅に集められ、そこから別の輸送手段へ引き渡される。

こうした仕組みの中で、人びとは時計、規則、勤務表、組織とより深く結びついていった。

もちろん、近代日本のすべての労働が鉄道のようになったわけではない。農村、漁村、商店、工場などではそれぞれ異なる生活時間が存在し続けた。

それでも鉄道は、「決められた時刻に、決められた役割を、多数の人間が連携して果たす」という近代的な仕事のあり方を、社会の目に見える形で示した。

蒸気機関車の煙の背後には、機械だけでなく、時刻を守る人、線路を直す人、貨物を積む人、帳簿を管理する人がいた。近代日本の鉄道史は、そのような無数の仕事によって成り立った生活史でもある。