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明治維新は革命だったのか

「維新」と「革命」は何が違うのか

明治維新は「革命」だったのだろうか。この問いが難しいのは、「革命」という言葉に何を含めるかによって答えが変わるからである。

一般に革命という言葉からは、フランス革命やロシア革命のように、既存の政治体制が倒され、社会秩序や身分制度まで大きく組み替えられる出来事が連想される。一方、「維新」という語には、古いものを完全に破壊するというより、政治を改めて新しくするという響きがある。

1860年代後半から1870年代にかけて日本で起きた変化を見ると、徳川幕府の消滅だけでなく、藩の廃止、身分制度の再編、徴兵制、地租改正、学校制度の整備など、社会の仕組みそのものが変わっている。その意味では、明治維新を単なる「政権交代」と見ることは難しい。

しかし同時に、革命後も天皇制や旧大名・旧公家などの社会的地位が完全に消滅したわけではない。変化と連続性の両方が存在するため、「明治維新は革命だった」と言い切る場合にも、どの部分を革命的と評価しているのかを明確にする必要がある。

政治体制だけを見れば、極めて大きな転換だった

政治史の観点から見れば、明治維新が巨大な体制転換だったことは疑いにくい。

江戸時代の日本では、徳川将軍を頂点とする幕府と、全国の大名が支配する藩が併存していた。後世に「幕藩体制」と呼ばれるこの仕組みでは、大名はそれぞれの領国を統治し、独自の家臣団を持っていた。

ところが1867年、徳川慶喜が大政奉還を行い、翌1868年には新政府と旧幕府勢力との間で戊辰戦争が始まった。新政府は軍事的に勝利し、政治の中心は徳川家から天皇を中心とする政府へ移った。

ただし、大政奉還だけで幕府支配が直ちに完全消滅したわけではない。王政復古の政変や戊辰戦争を経て、新しい権力構造が形成されていったと考えるほうが実態に近い。

さらに重要なのは、1871年の廃藩置県である。1869年の版籍奉還によって大名は土地と人民を朝廷に返上した形となり、廃藩置県では藩そのものが廃止された。旧大名は地方統治者としての地位を失い、中央政府が任命する府知事・県令などが地方行政を担うようになる。

数百年続いてきた領主による分権的支配を短期間で解体し、中央集権国家へ移行したという点では、これは革命的な変化だったと評価できる。

武士という支配身分も消えていった

政治制度以上に大きかったのが、身分秩序の変化である。

江戸時代には武士が政治と軍事を担う支配層であり、多くの藩士は藩から禄を受け取って生活していた。明治政府は旧大名や旧公家を華族、旧武士を士族などに再編したため、旧来の身分が一瞬で完全消滅したわけではない。

しかし制度の実態は大きく変わった。

廃藩置県によって藩がなくなれば、藩士を支えてきた財政制度も維持できない。政府は秩禄処分を進め、1876年には金禄公債証書の交付によって家禄を原則として廃止した。同年には廃刀令も出される。

さらに1873年の徴兵令によって、軍事は武士だけの特権ではなくなった。原則として全国民から兵士を徴集する軍隊が形成されていく。

こうした改革によって、「武士であること」が政治的・軍事的特権を意味する社会は終わった。

西南戦争で西郷隆盛を中心とする鹿児島士族が政府軍と戦ったことは、この変化の大きさを象徴している。西南戦争は単純に「武士対近代国家」という構図だけでは説明できないが、旧士族層の不満と明治政府による国家再編が背景にあったことは確かである。

支配身分そのものが制度的に解体されたという点を重視するなら、明治維新を社会革命の一種と見る根拠は強くなる。

それでも「民衆革命」とは言いにくい

一方、フランス革命などと比較すると、明治維新には異なる特徴が見えてくる。

倒幕運動の中心となったのは、薩摩・長州・土佐などの武士たちだった。木戸孝允、大久保利通、西郷隆盛ら、新政府を主導した人物の多くも旧武士層である。

つまり、被支配層が支配階級を打倒して権力を握ったという単純な革命ではない。むしろ旧体制内部の政治エリートの一部が徳川幕府を倒し、自ら新しい中央政府を建設した面が強い。

もちろん、百姓一揆や都市騒擾、幕末の「世直し」意識などを無視することはできない。幕府や諸藩の統治が動揺する背景には、経済変化や社会的不満も存在した。

しかし、それらの民衆運動が直接新政府を組織し、国家の基本制度を決定したわけではない。

この点から、明治維新を「民衆革命」と呼ぶなら慎重さが必要である。

天皇制の存在は「革命ではない」証拠なのか

明治維新を革命と呼ぶことへの反論として、しばしば「天皇という古い権威が残ったではないか」という点が挙げられる。

確かに明治政府は、共和政をつくったわけではない。むしろ天皇を政治的正統性の中心に置き、「王政復古」を掲げた。

一見すると、これは革命とは逆方向にも見える。

しかし、ここには注意が必要である。明治政府がつくった天皇を中心とする国家は、江戸時代の朝廷をそのまま復元したものではなかった。

江戸時代の天皇や朝廷は京都にあり、幕府が全国政治の実権を握っていた。明治維新後には天皇が東京へ移り、中央官僚機構、近代的軍隊、税制、学校制度などを持つ新国家の中心に位置づけられる。

したがって、「古い天皇を復活させただけ」と表現すると、制度上の変化を過小評価することになる。

古い権威を利用して新しい国家をつくることは、革命と必ずしも矛盾しない。革命とは、過去との完全な断絶だけを意味するわけではないからである。

経済や暮らしまで一気に変わったわけではない

反対に、明治維新をあまりに急激な断絶として描くことにも問題がある。

例えば、明治政府が成立したからといって、日本中の農民の生活が1868年を境に突然近代化したわけではない。多くの農村では農業を中心とした生活が続き、地域社会の慣行や旧来の人間関係も残った。

経済の面でも、江戸時代にすでに発達していた商業、金融、都市市場、交通網などが明治期に引き継がれている。

明治期の近代化をすべて「維新によってゼロから生まれた」と考えると、江戸時代からの連続性を見失う。

また、地租改正や徴兵制、新しい学校制度なども、一度の改革で完成したわけではない。政府は試行錯誤を重ね、各地では反対運動も起きた。

明治維新は一日で完成した出来事ではなく、幕末から1870年代、場合によっては1880年代の憲法制定や議会開設まで含む長い政治変革の過程として理解したほうがよい。

「上からの革命」という見方

こうした特徴を説明するため、明治維新を「上からの革命」と捉える考え方がある。

これは、民衆が政治権力を奪取した革命ではなく、旧支配層の一部が国家制度を急速に組み替えた変革だった、という理解である。

この見方には一定の説得力がある。

明治政府の指導者たちは旧武士でありながら、武士階級そのものを制度的に解体した。自分たちの出身階級が持っていた世襲的特権を維持するのではなく、徴兵制や官僚制度を備えた中央集権国家へ転換したのである。

ただし、「上からの革命」という言葉も万能ではない。

明治維新の指導者たちは、最初から完成された近代国家の設計図を持っていたわけではない。倒幕を目指した時点の政治構想と、廃藩置県後につくられた国家制度は同じではない。政治情勢、財政問題、外交上の圧力、国内の反発などに対応するなかで制度は変化していった。

結果を知る現代人が、「彼らは最初から近代国家をつくる革命を計画していた」と考えるのは後知恵になりやすい。

外国から見れば「革命」と映る場合もある

名称そのものにも歴史がある。

日本では「明治維新」という表現が定着しているが、外国語では明治維新を通常 *Meiji Restoration* と表現する。「王政復古」に近い語であり、天皇中心の政治体制への転換を強調する名称である。

一方、歴史学では明治維新を革命的変革として分析する議論も長く存在してきた。

ここで重要なのは、「維新か革命か」が必ずしも二者択一ではないということである。

「維新」は当時の政治的理念や日本史上の名称として使われ、「革命」は社会構造の変化を分析する概念として使うことができる。同じ出来事を異なる角度から説明しているとも考えられる。

どこまでを明治維新と呼ぶかでも答えは変わる

もう一つの問題は、明治維新の期間をどこまでと考えるかである。

1867年の大政奉還や1868年の王政復古だけを見るなら、政治権力の移動という性格が目立つ。

しかし、版籍奉還、廃藩置県、徴兵令、地租改正、秩禄処分など1870年代の改革まで含めれば、国家と社会の構造的変化ははるかに大きくなる。

さらに1889年の大日本帝国憲法発布、1890年の帝国議会開設まで視野に入れれば、幕藩体制とは大きく異なる近代国家が形成されていった過程として捉えることができる。

したがって「明治維新は革命だったか」という問いに答えるには、まず何を明治維新と呼んでいるのかを決めなければならない。

結局、明治維新は革命だったのか

明治維新を単なる「王政復古」や「政権交代」とするだけでは、その変化の規模を十分に説明できない。

幕府が消滅し、藩が廃止され、武士の世襲的特権が解体され、徴兵制や新しい税制、学校制度を持つ中央集権国家が形成された。政治制度と身分秩序の変化という点では、革命と呼んでも不自然ではない。

一方で、それはフランス革命やロシア革命と同じ型の革命ではなかった。民衆が直接政権を奪取したわけではなく、旧支配層の一部が新政府を主導した。また天皇という古い権威や江戸時代から続く社会・経済の仕組みも多く利用された。

そのため、最も実態に近い理解は、「革命だったか、革命でなかったか」と二択にすることではないだろう。

明治維新は、**旧体制内部の勢力によって進められながら、その過程で旧体制そのものを大幅に解体した政治・社会変革**だった。

何を革命の基準とするかによって評価は変わる。しかし、明治維新を「昔の幕府が終わって明治政府になった出来事」とだけ理解するより、誰が権力を失い、どの制度が壊れ、何が引き継がれたのかを見るほうが、その歴史的な大きさを正確に捉えられる。